ウガンダにおける同性愛とLGBTQ+迫害の歴史
ブガンダ王国時代と男色文化
ウガンダの中南部に位置するブガンダ王国は、16世紀頃に成立し、17世紀に最盛期を迎えました。
しかし、1884年、ブガンダ王国は大英帝国の保護国となり、イギリスは現地支配層を取り込んだ間接統治を進めました。
当時、ブガンダ社会では同性愛に対する特別な関心はなく、一定程度容認されていました。
国王ムワンガ2世(1868〜1903)は、女性とも男性とも性関係を持っていたことで知られています。
「同性愛者」という近代的なアイデンティティが確立したのは20世紀初頭のドイツであり、1969年のストーンウォール事件以降に世界的に広まったことを考えると、ムワンガ2世を現代の意味で「バイセクシュアル」と呼ぶより、男色家と表現するのが適切でしょう。
この時期、ヨーロッパからやってきたキリスト教宣教師たちが布教を開始しました。
ムワンガ2世はこれを自身の権威への脅威と捉え、キリスト教徒の弾圧に乗り出しました。カトリック、プロテスタント、イスラム教徒の対立を煽り、互いに消耗させる策を講じました。
イギリスはムワンガ2世の異母弟を担ぎ上げ、クリスチャンとムスリムの反乱を支援。
ムワンガ2世は王位を追われ、反乱を試みるも失敗し、セイシェル諸島に流刑。飢餓と拷問の末、35歳で生涯を閉じました。
彼は「キリスト教を弾圧した野蛮な同性愛者」と語られることもありますが、その背景には植民地主義、宗教対立、帝国主義が複雑に絡み合っています。
イギリス植民地支配と同性愛の犯罪化
イギリスの植民地支配とともに急速なキリスト教化が進み、現在ではウガンダ国民の約8割がクリスチャンとなっています。
1950年、イギリスはウガンダ刑法第145条を導入し、
自然の摂理に反して人間の肉欲を知った者、動物と肉体関係を持った者、男性同士で自然の摂理に反する肉体関係を持った者は、終身刑に処する。
と規定しました。これは「ソドミー法」と呼ばれ、1533年にヘンリー8世のもとで制定されたイギリス本国の法律がルーツです。
この法律は、インドやシンガポールなど他の植民地にも適用され、ウガンダを含め独立後も長く温存されました。
現在、同性愛を犯罪とする64カ国のうち半数以上が旧イギリス植民地であり、
東アフリカではキリスト教と植民地支配の影響がイスラム教よりも大きかったのです。
ウガンダ独立後の同性愛観
ウガンダは1962年に独立しましたが、同性愛に対して激しい関心や迫害は目立ちませんでした。
独裁者イディ・アミン(在任1971〜1979年)や、大統領ヨウェリ・ムセベニ(1986年就任)も、当初は同性愛問題に強い関心を示していませんでした。
状況の変化 ― アメリカ福音派の影響と反同性愛法
とくに2023年の法では、「加重同性愛」に対して死刑を科す可能性が明記され、国際社会から大きな非難を浴びました。
これにより、ウガンダ国内で同性愛者に対する暴力、脅迫、社会的追放が急増。
多くのLGBTQ+の人々が、国内での生活を断念し、国外への逃避を選ばざるを得なくなっています。
この「キリスト教が差別を持ち込み、広げた」という点で、代表の植田が関わってきた韓国のLGBTコミュニティとそれに対する激しい攻撃と合い通じるものがあることから、関心を持つようになりました。
ウガンダ国内の迫害事例
- 暴力と脅迫: 2023年6月〜7月だけで149件の暴力事件が報告
- メディアによる晒し: 「同性愛者リスト」公開による社会的孤立
- 活動家への弾圧: ニョンビ・モリス氏など、脅迫により国外逃亡
国外への避難と国際支援の必要性
2019年時点で、隣国ケニアにはウガンダ出身のLGBTQ+難民が1,000人以上存在していました。
その後の法改正と迫害拡大により、この数はさらに増加していると考えられます。
ウガンダ国内外で、LGBTQ+の人々の権利を守る支援が急務となっています。
参考文献
Deborah Kintu, The Ugandan Morality Crusade: The Brutal Campaign Against Homosexuality and Pornography Under Yoweri Museveni (McFarland, 2017)
